板東真理子(ばんどう・まりこ)
昭和女子大学学長
昭和21(1946)年8月17日生まれ。東京大学文学部心理学科卒業後、総理府入省。
昭和50年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)が発足した時、最年少の担当官として参加。
統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、総理府男女共同参画室長、内閣府男女共同参画局長等を経て2003年に退官。キャリアの多くにおいて女性政策に携わり、その立案をリードした。
昭和女子大学教授、副学長、女性文化研究所長を経て同大学長に就任。『女性の品格』(PHP 新書)は、2006年9月の発売以後話題を呼び、2007年夏には大ブームを巻き起こした。
日本人の働き方
井崎 私は20年ほど前、永住権を取って12年間アメリカで仕事をしていて、夫婦で仕事をしながら一緒に長女を育てていました。ところが、日本に帰ってきたら本当に週末にしか子どもの顔を見られないような生活になってしまったのです。日本人が日本人の家庭崩壊を促進させる仕組みをつくっているように思えて、非常に不思議でなりませんでした。それを変えていくためにどうしたらいいのかということを考えると、これは大都市で顕著なのでしょうけれども、通勤時間が長すぎるというのが一つ、あとは会社での働き方が長時間すぎるということが問題なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
坂東 世界中で日本人は勤勉だとかよく言われますが、私は勤勉なのではなくて拘束時間が長いだけで、本当に働いてはいないのではないかと思うのです。私自身も34年間公務員をしていましたけれど、当時といまの生活を比較してみると、自由時間はいまの方が多いのです。大学の学長というのは、それこそ24時間やるべきことは山ほどありますが、拘束されている時間は案外少ないのです。
ところが公務員は、とにかく毎朝、毎晩拘束されています。その中で時間を盗んで自分の本を書いたり、家庭のことをしたりしていたのです。いまでは、あの時の1時間当たりの生産性は非常に低かったのだと実感しています。
井崎 先生はいろいろな著書の中で、働き方といろいろな子育て支援に関する政策のあり方について書かれています。国が、そして自治体が、どういう政策や施策を展開することによって、少子化対策や高齢者社会で日本が縮小経済に入っていくところから希望の見える社会に変えていくことができるとお考えなのでしょうか。
坂東 いま日本のお父さんたちは長い間職場に拘束されています。それでも昔はそれだけ働けば出世する、収入が増えるというリターンがあったわけですけれども、現在のような社会状況になりますと、いくら働いても管理職になれるかどうかわからない。経営者になるなど夢のまた夢で、ですから収入もあまり増えません。そのためにモラールが非常にダウンしています。だからこそいま、人は何のために働くのだろうか、お金のために働くのだろうか、それとも幸せのために働くのだろうか、と働く目的をもう一度考えなければいけないのではないかと思うのです。働く目的の中の幸せ、という時に一番大きな要素としては家族とのつながりがあります。次の世代を生むことができる、育てることができるということです。人間はいくらお金があったとしても、ヒルズ族みたいに贅沢をするお金があったとしても、結婚をして子どもを持って子どもたちを育てるという部分をないがしろにしている働き方は決して幸せではないと私は思うのです。日本全体が今までは出世とかお金を持つということが、特に男性にとっては成功の証、目標だったわけですけれども、それを男性たちが、別の価値があるのだということを本気で考えられればいいと思います。ただその時に世界全体、日本全体が競争をしている中で、皆が頑張っているのに自分一人が一抜けたと言ったら、世の中から置いてきぼりにされるのではないか、格差社会の中で沈んでいってしまうのではないかという恐怖心を多くの人が持っているのです。そうではない、新しい人生の楽しみ方、豊かさがあるのだよ、ということを自治体が一つのモデルケースとして示されるといいのではないかと思います。
子育てに参加することの重要性
坂東 私は霞ヶ関にいた時、情報は自分たちが握っているのだ、だからそれを自治体の人たちに流さなければいけないと思っていたのです。ところが埼玉県に副知事として赴任した時に実感したのは、自治体が一番最前線なのだということです。最前線で自治体が取り組んでいるベストプラクティクスを吸い上げ、霞ヶ関が工夫を加えてそれぞれの自治体に伝えていくという新しいシステムにしなければならないと感じました。実際には自治体の中でも基礎自治体である市町村が一番のフロンティアですよね。
井崎 そうですね。苦情も真っ先に入ってきますし、それからある政策に取り組んで、その反響が手に取るようにわかるのが基礎自治体です。流山市は過去40年間ベッドタウンとして発展してきましたが、これまでは交通の便の問題があって通勤時間が長かったのです。私自身がそうであったように、家に帰ると寝るだけという方が多かったと思うのですが、つくばエクスプレスができて通勤時間が短くなったために、働き方を変えさえすれば平日でも少しは子育てに参加し得る環境になりました。ただこれはやはり会社、それから会社に働き掛ける国の制度がないとなかなか難しい問題です。私自身が会社勤めをしていた時もそうでしたけれども、お先に失礼しますと言いにくい雰囲気がありました。
坂東 本当ですね。周りが皆そういう生活をしていると自分もそういう価値観になってしまうという部分は払拭できません。
井崎 子育てが大事だとよく言われますが、子育ては本当に子どもが大きくなってしまってから後悔しても始まりません。子どもが小さい時に子育てに参加すること、それから家庭を大事にして時間を確保すること。時間は量ではなくて質だと思いますけれども、でもまったく量がないのではやはり難しい。家庭を大事にすること、子育てに参加するということを男性が、会社で働くことと同等に大事なのだということをもう少し教育されないといけないと思います。反省をこめて。
父親の意識の変革
坂東 女性の間では、これからは仕事と子育てを両立しようという価値観がかなり浸透してきた気がしています。例えば昭和女子大学はいわゆる良妻賢母を養成する大学として有名でしたが、いまやほとんど全員が就職を希望しています。昔は良家のお嬢さんは仕事などしないで、自宅で家事手伝いをしていて、いいところへお嫁に行くというのがあらまほしき姿だったのですけれども、今はもう全員が働くのが当たり前になってきています。ただ自信がなくて、子どもができても働き続けるのは難しそう、もしそうなったら私はやっぱり辞めなければいけないのかな、と考えている女性が多いので、こちらは頑張ってやればできるわよと後押ししている状況です。
このように、女性の考え方は少し変わってきているのですが、男性の方がまだ頭の転換ができていないのではないかと私は思い込んでいました。ところが、私は世田谷区でNPOの「子育てステーション世田谷」という認定保育園を運営していて、そこは50人の定員なのですが、発表会などをやりますと、200人くらい観衆が集まるのです。お母さんだけではなく、お父さんとお祖父さんお祖母さんたちが来たりして、それを見ると本当に子どもは宝なのだろうなと実感するのです。そこで感じることは、最近のお父さんたちは本当に子育てに熱心なのだということです。食育の話などをすると、メモを取っているのはむしろお父さんの方。30歳前後のお父さんたちは本当に変わり始めてきています。これは私が北欧に行った時に抱いた印象なのですが、子育てを楽しめる男性というのは自分で仕事をマネージメントすることができるという意味で一種のステータスなのですよ。自分とパートナーが子どもを持てるような幸せな家庭を築いている。どうだ、自分の家には子どもがいるのだぞ、という感じなのですね。保育所にもごく普通に男性がお迎えに行っています。朝お母さんが送って行ったら夕方はお父さんというように完全にシェアしているのです。日本ではまだそういうことに対して、お宅は奥さんが強いのね、とかご主人に理解があるのね、という風な、同情とも憐みともつかない目で見られることが多いのですけれども、ノルウェーやスウェーデンの男性たちは、どうだ、自分はいい家庭を営んでいるよ、という誇りを持っていたのがとても印象的でした。そういう点、流山はどうなのでしょうか。
子育て政策に必要なものはサービス
井崎 流山おおたかの森ショッピングセンターにBayfmのサテライトスタジオがあるのですが、そこで2010年に育メンコンテストが開催されました。そのときは、たくさんの方が応募されました。流山市では、鉄道がクロスしている市内の2駅の駅前に駅前保育送迎ステーションを設けて、そこから市内のすべての公立と私立の保育園に送迎していますが、電車でお父さんが抱っこをしながら乳児を連れてきて預けていかれるという方も少なくありません。若い男性の意識は確実に変わってきたと思います。
坂東 本当にそういう男性が現れてきているのですね。特に30前半くらいは本当に変わってきているのですね。
井崎 変わってきましたね。本当に驚きました。アメリカにいた時の生活を思い起こすような感じです。男女共同参画という問題はあまり肩肘張って議論するよりも、具体的に、こうやって日常生活の中で楽しみながら変わりつつあるのだなあということを感じました。